こんにちは!市川春子ファンの相宮です。
私は先生の描く作品の中でも、とりわけ短編作品が大好きです。
今回は2作目の短編作品集である『25時のバカンス 市川春子作品集Ⅱ』について考察を含めて語ります。
『虫と歌 市川春子作品集』についての考察記事はこちら
はじめに
本記事は既読者向け考察記事という特性上、ネタバレが含まれます。作品を未読の方は、こちらの紹介記事(ネタバレなし)をぜひご覧ください。
未読状態でこの記事を読むのはおすすめしません。
初読の楽しみは一度きりです!読んだらまた来てね!!
それでは、本題に移ります。以下作品の内容を含みます。
各作品について
25時のバカンス
なんて甘くて切なくて、爽やかな近親愛なんでしょう……。
単行本の約半分を占める中編なだけあって、柔らかで繊細でちょっとコミカルな市川ワールドを堪能できます。登場人物も貝たちも皆パンチが効いています。
乙女さんの真の感情は徐々に明かされていくわけですが、皆さんはどの辺りで気づきましたか?筆者はん?と思いながらも割と後半まで気づきませんでした。鈍感です。そして2回目で乙女さんの言動全てに納得しました。この作品楽しいですね~!!!恋バナしている気分になれます。
乙女さんの行動はとても可愛らしくいじらしいです。服のタグ取り忘れとか可愛すぎますね。服を買うのが久しぶりだったんでしょうね……。「見てるだけか」とか「少し寒い」とか不器用な台詞も非常に良いです。最高です。
収録作品の中ではもっとも恋愛が強調された作品だと思います。甲太郎の純粋な家族愛に対して、乙女さんの一方通行な恋愛感情が浮き彫りになっているといいますか。片想いの楽しい部分だけでなく虚しい部分がしっかりと描かれていますね。読んでいる方まで苦しくなります。
手をつないだり、身を寄せ合ったりして意識するというのは恋愛においてはごく普通ですが、市川作品ではそういった要素はあまり出てきません。なので逆に新鮮です。乙女さんが文字通り恋する乙女なのはあらゆるところで観測できます。海中で失った乙女さんの下半身、下着までちゃんと気合が入っているあたりに本気度がうかがえます。この日のためにどれだけ準備したのかがよく分かるひとコマです。
対する甲太郎の家族愛も本物なんですよね。乙女さんとは家族として一定の距離を保って接しますが、傷つきそうな時にはとっさに体が出ます。目のことを乙女さんのせいにされれば怒ります(これは実際乙女さんの気持ちだったわけですが)。だからこそ、乙女さんの感情を受け入れることはできないんですよね。
市川先生の連載作品『宝石の国』の単行本では、作中で孤立しているシンシャというキャラクターが表紙カバーのそで(折り返し)の部分にポツンと描かれ、他のキャラクターと物理的に分断される手法がとられています。この作品集でも表紙にソロで乙女さんが、そでの部分に甲太郎が描かれています。この表紙も交わることのないふたりの関係性を表しているのかもしれませんね。
余談ですが、この作品で好きなのがコーヒーにまつわるシーンです。細胞フィルムを取り出したとき、「黒目はコーヒー色に……」と乙女さんは言っていましたが、つまりこれはコーヒー色を再現するために貝にコーヒーを飲ませていたわけです。作中には描かれていませんが、弟のことを思ってコーヒーを飲む時間はどんな時間だったのでしょうか。貝も最初は嫌だったと言っていますから、体内で暴れたりしたんでしょうかね。なんとなく想像の余地があるキーワードだと思います。
また、見張り番をする甲太郎が缶コーヒーを開けるシーン。あそこは純粋に唸りました。狙われている、という話の流れから、「スナイパーだ」の台詞とともにパンッとプルタブの音が鳴り、次のページで乙女さんが液体を飛び散らせて倒れています。あのミスリード、痺れました。漫画が上手い。
クライマックスでは、ふたりは微妙な関係のまま太陽に溶け込んでいきます。その後の展開も乙女さんの未来も全て曖昧にしてしまうラストシーンは、眠るような心地よさを感じます。乙女さんが最後の隠し事を打ち明けた時、形容しがたい無二の関係がふたりの間で成立したといえるのかもしれませんね。
パンドラにて
来、来ました最難関作品。『虫と歌』収録の『ヴァイオライト』と並ぶ二大巨頭と思われますが、個人的にはこちらの方が難解でした。いまだに嚙み砕けていない部分があるため、ふわっとした考察になるかと思いますがご容赦ください。
前半ではきらびやかな学生生活が描かれています。ロロという新入生がナナについてきますが、ナナはすぐにその正体を見破っているようです。
とはいえ自らの計画のために息をひそめて過ごすナナはそのままロロと1年を過ごすこととなります。クアドラの話をした時に微笑むロロは健気で可愛いですね。
中盤でパンドラは『最新で希少な少女のショーケース』と称されたように、箱庭の中の生活はモラトリアムの象徴で満ち溢れています。甘いお菓子、同じベッドで眠る少女たちなど様々なものがありますが、ひときわ印象的なのがダンスのシーンでしょう。見開きのページでは、その場にいる全員がそれぞれの形で互いに自分を捧げ合っています。一瞬、学園のほの暗い裏事情を忘れてしまう眩しい光景です。
卒業式の日、ナナは計画を実行しようとしますが、ロロ──クアドラの気持ちが分からなくなり、未遂に終わります。クアドラの反応が予想外だったからです。そう、クアドラは故郷に帰りたいわけではないのです。ただ大切な人と一緒にいたいだけなのです。言葉で意思疎通をしてこなかった彼女たちの考えには齟齬がありました。結局、クアドラは宇宙空間までナナを追いかけます。
出立式後の光景はなかなかショッキングです。卒業生たちが皆生身で宇宙へと放たれ崩壊しています。
クアドラが宇宙に出た時にメッセージが再生されていますが、つまるところ研究生やら花嫁候補やらの話は真っ赤な嘘で、パンドラの少女たちは宇宙生物をおびき寄せるための餌に使われていたわけです。宇宙生物を研究したい兄が画策したことでしょう。
ナナを追って宇宙へ飛び出したクアドラは宇宙生物の真意を知りました。そして彼らは兄の手から逃れ自由を得る選択をする……。筆者はこう解釈しています。別解釈があれば知りたいです。コメントとかで教えてください。よろしくお願いします。
月の葬式
季節は極寒ですが、ほんのり心温まる作品ではないでしょうか。
現実から逃げ出してきた少年と現地に住む謎の青年。青年は偶然出会った少年を自宅へ連れ帰ります。そこでふたりはお互いの秘密を共有することになります……。
集合体恐怖症の方には若干ハードルの高い作品ですね。芸術的ですし、筆者は恐怖症ではないので直視しますがOh……となります。
秘密を共有したふたりは兄弟となります。聞けば青年は月の王子だといいます。王子は少年によみちという名前を付け、現地で生活できるように手配します。捜索願を出されている子を匿えば信用を失うと分かっているだろうにそんなことをしたのは、自身の孤独からではないでしょうか。仲間は皆亡くなり、じりじりと病に冒され、誰にも真実を言えず死を待つのみの日々。話を聞いてくれる相手を求めていたんですね。
しかし、病のことを知ったよみちは王子を助ける術を考え始めます。それはそうでしょう。彼は若く聡明で、青いのですから。そしてもう自分の体を諦めている王子とは気持ちがすれ違っていました。それでも王子はよみちを思い、月の葬式を執り行います。この見開きページがあまりにも美しくて本当に好きです。
この月の葬式のおかげで、よみちは王子の病の原因の究明に成功します。お互いを思う気持ちがすれ違ってふたりは別れましたが、それが再び巡り合う要因にもなったわけです。
天才少年に出された「難題」。それはもう一生解かれないのかと思われましたが、よみちは長い年月をかけて答えを見つけてきます。この時ふたりはまさしく兄弟になったといえるのではないでしょうか。
兄弟──家族ものといえなくもないですが、個人的には他人同士が寄り添う優しいお話のように感じました。この作品が単行本の最後に収録されているのが、私はとても好きです。
さいごに
いかがでしたでしょうか。市川先生の短編はどれも濃密すぎて、読み終えるとロスになりますよね……。いつかまた新作が読みたいです。それまでに現作品をさらに読み込んで脳をアップしておこうと思います。
単行本未収録(2023/4//3現在)の『三枝先生』も未読の方はぜひ読んでみてください!
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